「カンボジア クロマートラベルガイドブック」
特集
Vol.6 Jan -
Mar 2008
特集2
〜孤児院の子供達〜
クロサートメイ
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カンボジアは世界でも有数の孤児率が高い国である。その要因は様々であるが、主な理由は貧困と、医療設備の未発達である。人口約1300万人、内約77%の者が一日2US$以下の所得である。この金額では一家全員を養うことなど、できない。また、地域によっては現金収入もなく、ほぼ自給自足で生活している。”貧乏人の子だくさん”、言ってはいけないだろうが、貧しい家ほど子供が多く、10人を超すこともある。自分達が食べるだけで精一杯で子供を養うほどの余力などなく、また学校に行かせる余裕さえない。両親が亡くなってしまった子供、養う余裕がなく捨てられた子供、それぞれの子供がそれぞれの事情を持って生活するできる場所「クロサートメイ」。そこで同じような境遇の者と共に子供達は過ごしている。
今回訪れた孤児院「クロサートメイプロテクションセンター・シェムリアップ(収容最高人数50人)」はカンボジアの内戦が落ち着き始めた1992年に創設された。最初は40人の子供達から始まり、多い時は50人を超したが、現在では7歳から20歳までの子供達41人とスタッフ10人が生活を共にしている。
日曜日、水のパイプを引く為の作業
自由時間に遊ぶ子供たち
子供たちの生活
センターの朝は早い。5時になると鍋を叩く音が響き渡り、皆いっせいに起床し、体操が始まる。その後、センター内ミーティングルームに集合すると、スタッフから、その日の作業説明、注意などが伝えられる。主たる作業内容は、掃除、庭の手入れ、センター内で飼育されている豚や牛の世話、食事の手伝いであり、年齢、性別に応じて役割分担される。
作業が終わると、朝食が始まる。質素だが子供達の栄養を考えた料理だ。手狭な台所には、大きな鍋と炊きたてのご飯が並び、小さな子供から順に列をなして皿いっぱいに盛っていく。食べ残しがないように気をつけており、食事後は米粒一つ残っていない。食べ終わったお皿は、石鹸を溶かした溜め置き水でさっと洗い流し、食器棚へと戻す。
カンボジアの学校は午前(7〜11時)と午後(13〜17時)に分かれた二部制となっている。子供達の約半数が午前、残りが午後に学校へ行き、空いている時間は自由時間となる。仲のいい友達と遊ぶ子もいれば、学校の先生がアルバイトとして自宅で行っている補習授業(一ヶ月5000リエル、約130円)にでたり、センター内で行われる無料の英語クラスで勉強する子もいる。別段、強要されない子供らしい生活をおくっているのだ。
欧米人ボランティア(ときには日本人もいる)の行う無料英語クラスは、初級、中級レベルと分かれており、それぞれにあった授業を子供たちは受けている。ちなみに、この教室は一般にもオープンしており、口コミで外部からも多くの者が学びに来ている。
夕方、太陽が沈み始める頃、みんなが帰ってくる。夕食をとり、お風呂代わりの水あび、宿題をした後、寝床につくというのが一日の流れだ。
ただし、カンボジアの学校は木曜(授業が行われず、2時間ほどの学校掃除が子供たちに課せられ解散となる)と日曜日が休日となっている為、一日中それぞれが思い思いの生活を楽しんでいる。親がいる子供の場合、その日だけ、実家に帰ることもある。子供達の好きな日を聞くと、土曜と日曜だという。その夜だけは、大好きなテレビを見ることを許されるからだ。
新しい家族
子供達はどのような経緯でここに来たのだろう。
様々なパターンがあるのだが、ここにいるほとんどの子供は、カンボジア各拠点にいるこのセンタースタッフ達が、それぞれの地域の物乞いの子供(通称ストリートチルドレン)や家出した子供に声を掛け、入居を促したり、他のNGO団体から引き受けたりして集まっている。中には、親の収入が十分でなく、養育費がない、教育を受けさせたいがその費用を捻出できないなどの理由で、親自身が小さな子供を預けに来たりしている。
ストリートから、センターに入ることに同意した子供達は、団体生活に適応できるかどうかチェックする為に、テンポラリーセンターへと入る。この施設の入居期間は3ヶ月から6ヶ月と短期的なものではあるが、後に入る予定のプロテクションセンターとは違い規制が少なく、センター以外に住み、好きな時に来て食事をすることも、センターでずっと宿泊してもかまわない。また、好きな時に出ていってもいい。一定のルールさえ守ればスタッフは何も言わず、安定した食生活と教育が約束されているのである。ここで家族の一員としての最低限のマナーを自分自身で取り入れ、集団生活を学んでいく。それまできちんたした教育を受けずにいた子供達に、自国の言語である、クメール語を学ばせ、生きていくうえで必要な簡単な算数、一般的な道徳教育を行う。
その間にスタッフは彼らの家族の有無やおかれている状況を調査する。家族がいる場合は、親に直接会い、子供が自分の家に戻れるかどうか話し合い、調整を行う。ただし、それが子供にとって必ずしも適切ではない場合もあり、その場合は子供の意志を優先させている。
期間中の素行に特に問題がなく、本人が希望する場合は、長期に渡り生活できるプロテクションセンターへと移動し、みんなと共に生活する事となる。
どのようなケースにしろ、親達と別れた子供達の心を解きほぐすことは、決して容易ではない。新しく迎え入れた子供に対し、スタッフはもちろん、そこに一緒に住む子供達が、ゆっくりと時間をかけて、接していく。やさしく話しかけ、一緒に遊び、共に食事をとったりして、子供達に安心感を与えて、少しずつ信頼を得ていく。スタッフはいろんなことを提案し、促すことはあれど、決して強制をしたりしない。 そうやって、その子供はクロサートメイの”新しい家族”の一員となっていく。
教育と実習
子供達の将来につながるようにと、言語教育をはじめ、コンピューターなど様々なトレーニングが行われている。その中には、クメール伝統ダンス、影絵、民族楽器なども含まれる。それらは練習だけでなく、実習として、市内レストランで週に一度、リクエストベースで平均して月に二度ほど、ホテルなどでプライベートパフォーマンスが行われる。
センターでの練習は月曜と火曜の夕方から1時間ほど行われ、経験豊かな先生が教えに来る。建物周辺にはきちんと電気が通っていない為、日が落ちる前から練習を始め、暗くなると、発電機をまわし、練習を続ける。お金を払って見に来るお客様の前に立つ以上、子供だからといって甘えは許されない。きっちりとミスのないパフォーマンスをする為に、厳しい練習が続けられる。子供達は真剣なまなざしで、先生の一挙一動を観察し、無駄口などたたかない。先生から練習終了が告げられた瞬間に笑いがこぼれだし、子供らしい顔つきに戻っていく。
水曜日が、本番の日だ。いつもより少し早く学校から戻り、そそくさと夕食をすませる。パフォーマンスで使う楽器は持ち寄りだで、センターが所有する小さなトラックの荷台に、楽器や衣装、小道具などを積み込み、その片隅に大勢の子供達が乗り込んでレストランへと向かう。その様子は、まるで旅一座だ。
開演前、伝統衣装に身を包んだ子供達は、見間違うほど別人に変身する。いつも、大声をはり上げながら、走りまわっている子供達とは雰囲気も異なり、落ち着いた動きと真剣な眼差し、そして力強い演奏、そのギャップにドキドキしてしまう。ただし、演目が終わると、疲れからか、ついたてをはさんだ控え室で眠り始める子供もいる。そういったところはまだまだ子供である。
将来
カンボジアの教育システムは日本同様に6、3、3となるが、大きく異なるのが、小学校でも学年テストに合格しないと留年してしまうという点だ。その為、15歳でまだ小学生ということもある。
このセンターの方針として、17歳になった子供は、その時点で通っている学校で勉強を続けるか、別の職業訓練学校で手に職をつけるかと選択しなければならない。もちろん、どちらも選択しないという選択もあるのだが、きちんとした理由がない場合、センターから出なければならない。もちろん、訓練学校も無料ではない、子供達が本当に学びたいものを学ばせようと、将来の夢を、具体的に聞きだし、その子にあった学校を探し、集められた募金から捻出する。
アンコールワットがあるシェムリアップの場合、やはり観光産業へと人気が集中する。ホスピタリティやツーリズム、料理を学ぶ子供が多いが、語学を学び、ツアーガイドになりたいと希望する子もい。この国の場合、多くのカンボジア人が内戦時に何らかの影響を受け、肉親を亡くしている事もあり、孤児院出身だからという色眼鏡で見るものは少なく、能力さえあれば仕事は見つけられる。
学校が決まると、多くの子供達はセンターから通う事となり、その後、無事就職先が見つかり、自立できるようになると、センターから巣立っていくことになる。
旅立ちの日、ずっと一緒に過ごした新しい家族と別れていく時、多くの子供達は泣きながら「ありがとう」と言う。その言葉こそがここで働くスタッフと、サポーター達の目的であろうか。
少なくとも、この「クロサートメイ」に住んでいる子供達は、笑っている。くったくのない笑顔に癒されている自分を感じながら、子供達の明るい将来を願いたい。
クロサートメイの運営史
1991年 フランス系カンボジア人の提案により誕生
内戦の影響でタイとの国境に設置された難民キャンプが発祥の元となる
1992年 シェムリアップにプロテクションセンターが開設され、約40名の孤児達を収容
1993年 カンボジア北西部のシソポン及び、プノンペン近くのタ・クマウにそれぞれセンターを開設。プノンペンにはストリートチルドレン専用の一時収容センターを開設
1994年 初の視覚障害者向けセンターをプノンペン近郊に開設
1995年 技術学校をシアヌークビルに開設
1996年 ストリートチルドレン向けセンターを国境の町ポイペトに、視覚障害者向けセンターをバッタンバンに開設。また子供を養う未亡人が親子で住めるセンターも新しく開設。シソポンにはダンス、影絵、楽器等のシアター兼トレーニングセンターを開設
1997年 初の聴覚障害者向けセンターを開設し、アメリカ式手話をカンボジア式に調整した手話を教える
1998年 ポイペトで教育サポートプログラムを開始。950名が対象となり資金サポートを受ける
2000年 聴覚障害者向けセンターをバッタンバン、シェムリアップに開設
初めて視覚障害者がカンボジア公立学校に通うこととなる
2001年 視覚障害者向けセンター、トンレサップエキシビジョン、プロテクションセンター2軒をシェムリアップに開設。初めて聴覚障害者が公立学校に通うこととなる
2002年 公立校に合計で12の聴覚障害者専用クラスを開設
コンポンチャムに視聴覚障害者向けセンター、プロテクションセンターを開設
ストリートチルドレンセンターをシェムリアップに開設
2004年 プノンペンに初の聴覚障害者向け幼稚園を開設
シアヌークビルにプロテクションセンターを2軒開設
施設運営費・その他
(1ヶ月の目安)
運営費 $3,335 / 食材 $830 / お米 $130
水道/電気
$60 / 教育 $45 / 医療費 $30 / 衛生用品 $420
子供達のお小遣い
小学生 1〜3年生 $3 /4〜6年生 $4 /中学生 $7 /高校生以上 $8
その他の費用(毎年)
教材(9月) $370 / 制服(9月) $280
他、機材の修理費、購入費、子供たちの洋服代など
孤児50人を収容しているこのセンターの年間予算は$400,000。その中にスタッフの給料、光熱費、学費、その他様々なものが含まれており、孤児院の運営費は主に個人の寄付によりまかなわれている。実際にこの金額でやりくりできるのかと思うが、質素な生活ではあるが何とかやっていけるそうだ。
2階は子供達の部屋
男の子と女の子も同じ建物で寝泊りしている
センター内での英語授業、先生はボランティアで随時募集している
終了後、トラックに乗って帰る子供達
真剣なまなざしで民族ダンスを踊る
夕日が沈む頃、パフォーマンスの練習を行う
クロサートメイ (新しい家族)
クロサートメイとはカンボジア語で”新しい家族”という意味であり、1991年にフランスによって創設されたNGO団体として、様々な支援活動をしている。その三大方針が、教育、福祉、文化であり、活動の中には孤児院運営も含まれる。院には、両親がいない子供、両親に捨てられた子供、両親の収入では経済的に養っていけない貧しい家族の子供、両親が離婚してしまい、行く当てのない子供、また虐待を受けていた子供達がいる。カンボジア全土に15の支援プログラム、70の施設、孤児院等を運営しており、今後も更なるサポート充実を目指している。