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「カンボジア クロマートラベルガイドブック」
特集
Vol.1 Oct - Dec 2006
特集2 バイヨン壁画に見る
平和への願い
JASA(日本国政府アンコール遺跡救済チーム) インタヴュー

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バイヨン寺院は12世紀終盤に建造された仏教寺院である。四方12km、高さ8mの城壁に囲まれた都城アンコール・トムの中心に位置するバイヨンは、約50の四面仏顔塔が聳え立つ、世界的にもめずらしい建築装飾を持つ。建立したジャヤバルマン7世は大乗仏教を深く信心し、慈悲深く思いやり溢れる王として後世に語り継がれている。

バイヨン第一回廊のレリーフは主にクメール帝国と隣国チャンパ帝国との戦いの模様が記されている。チャンパ軍とクメール軍の行進、湖での水上戦、戦象による戦いなど。回廊東面には、戦いに向かうクメール軍、さらに軍の後方に続く食糧部隊が描かれている。そこでは戦いへ向かっているにもかかわらず、つまみ食いやナンパ、闘鶏や将棋、そして酒を飲んで楽しんだりする姿が描かれている。ジャヤバルマン7世は、なぜこのようなユーモラスで戦争とは一見関係のない様子を盛り込んだのだろうか。

[写真上]クメール軍後方に随行する食糧部隊。写真右側に両親と肩車された娘、その傍らを歩く息子の家族が見える。カンボジア人は戦地へも家族を連れ行った。カンボジアは基本的に婿取りのため、娘は大事にされている。現代でもその風習は残っている。中ほどには酒を飲んでいる男たち。その後方には水牛の引く牛車が続く

[写真左]右からご飯を炊く人、酒を飲む人、カメに尻を噛まれて振り向く人、そして左端では女性をナンパしている男も。人々の様子がコミカルに描かれている

[写真上]チャンパ軍とクメール軍が激しく戦う様子。かぶりものをしているのがチャンパ軍。耳が長く腰巻をしているのがクメール軍
[写真左]勇ましく戦場へ向かうクメール軍。うつ伏せになっているのは傷ついている兵士

[写真左]中国人の宴会。当時から中国人が沢山住んでいた
[写真左下]高床式住居
[写真右下]物を運ぶ人と休憩所で休む人。ジャヤバルマン7世は多くの休憩所を作った
千年の時を経ても変わらない青く繁る木々と突き抜ける空
アンコール時代の人々は何を想い建造したのだろうか
バイヨンで佇む尼僧
いつの時代も望むのは平和

12世紀中頃、アンコールワットを造営し、ヒンドゥ教で国内を統一しようとしたスルヤヴァルマン二世の統治が終焉を向かえた。当時クメール帝国は隣国チャンパ帝国(現在のハノイとホーチミンの中間に位置する)との戦いが続き、国民は疲弊していた。さらに1177年にチャンパ軍の攻撃により王都は陥落、王室や寺院の金銀財宝は全て持ち去られ、アンコールの地は荒れ果てた。しかし1181年、ジャヤバルマン7世がトンレサップ湖の水上戦にて王都奪還に成功、1203年にはチャンパ帝国を併合するまでクメール帝国は拡大した。その後の統治期間には大きな戦争もなく、ジャヤバルマン7世はいわば「復興の王」であり、彼の時代は「太平の世」であったと言える。彼は仏教により祖国を蘇らせ繁栄と安定をもたらしたいと願っていた。壁面に描かれた人々の生活は平和の象徴でもある。戦争と相反する楽しい日常風景を描くことで、平和を願う心を刻んでいたのかもしれない。そういう見方もできるのではないだろうか。
下田 一太さん


● しもだいちた
1976年生まれ 
東京都出身
早稲田大学理工学部建築学科卒業
1998年よりアンコール遺跡の修復事業に参加。2006年3月より技術顧問として派遣される。現在はバイヨン寺院南経蔵、サンボー・プレイ・クック修復を担当。子供の頃の夢は壁画の修復師。

修復はクリエイティブ、完成図のないパズルに挑むようなものです


 遺跡に行くと必ずといっていいほど修復現場に出合う。アンコールトム南門をくぐりバイヨン寺院に辿り着くと真っ先に見える赤土を盛り上げたクレーンの斜路。「ここは日本の団体が修復をしていますよ」とツアーガイドに言われ、日本もその一手を担っているのだなと得意に思う人は多いだろう。この修復を担うJASA(日本国政府アンコール遺跡救済チーム)の下田さんにお話しを伺った。

 「今年からバイヨン寺院の中の南経蔵の修復が始まりました。この事業は2011年まで続く予定です。1994年から1999年までの5年間でバイヨンの北経蔵を修復を終えました。南経蔵は北とほぼ同じ規模で同じ形式ですが,バイヨン寺院の中で一番危険度が高い建物。その建物の部分解体・再構築を行います。その他にはバイヨン中央塔の構造補強の方法についての基礎研究,それとバイヨン内回廊の浮き彫りをどういう技術で保存修復していけばよいのか,その基本的な計画を研究しています。」


技術は日進月歩
 「修復の難しいところは,様々な判断基準があり,それに応じて方針や方法が違ってくるところ。例えば橋を架ける場合には,環境条件に応じてある程度同じものができますが,修復の場合,考え方が違えばどう修復するかが変わってくるので。いろんな方法と状況がある中で,どれが一番よいのかを選んでいくのが難しいですね。まるで完成図のないジグゾーパズルを組み立てているようです。」

 アンコール遺跡の修復は約一世紀の歴史がある。20世紀の初頭からフランス,そして1980年代にはインドが名乗り出た。現在は昔修復した箇所をさらに修復するという作業も出てきているという。

 「例えば,当時は『この材料を使えば半永久的に大丈夫』と言われていたものでも,10年経てばどんどん新しい材料や,新しい工法が出てくるので,今やっている修復が10年後も通用するとは限らない。日々いろんな修復方法が出てくる中で,どれがベストかを見極めることは本当に難しい。修復の材料や方法が変わっていくと,それまでの修復に対する理念みたいなものも変わっていくんですね。なので,どのような価値観をもって修復にあたるか。それが非常に重要になってきます。」


日本が修復の歴史を変えた
 1994年に設立されたJSA(JASAの前身)は過去10余年間アンコール遺跡の修復を行ってきた。アンコールワット北経蔵、プラサート・スープラ、バイヨン寺院北経蔵。これまでは日本政府主導だったが今年から名前をJASAと改めて、カンボジア政府機関のアプサラ機構と協力して進めている。

 「日本が入ってきたことで,これまでの修復方法が変わりました。日本はもともと木の文化です。木は朽ちていくから,いやおうなしに新しいものに変えていかなければならない。新しいけどそれを歴史的に価値のあるものにするには『同じ方法で作る』ということが大切になってくる。その『方法』の中に価値があるという。アンコールの場合もクメールの人たちが1000年も前にどういう風に造っていたか,どう考えて造ったのか,なぜこの材料を選択したのか。見えない部分に潜む価値や考え方を再現するということですね。」

 その日本のやり方が今では他国の修復隊にも浸透しているという。「ただ今の技術がどこまで通用するのか判らないです。今の日本は何100mという橋も架けるし,高層ビルも建てられる。でもその技術をもってもクメールの人たちが過去に造り,1000年以上も持たせたアンコール遺跡に対峙すると大きな壁にぶつかってしまいます。」


修復はクリエイティブ
 地味で緻密な修復という仕事。しかし実際はクリエイティブな側面もあるという。

 「この仕事の面白いところは、いろんな分野の研究に触れることができることですね。修復っていろんな分野の知識が必要なんです。美術史,考古学,建築,地質,地盤,構造,岩石,生物とか。そうした多様な専門家と交流できる。様々な学術分野をオーガナイズする学問でもあるんです。修復は歴史的価値を復元する仕事,自分がイメージしたものをそのままデザインできる自由さとは異なるけれども,それでも今という時代が歴史を解釈して新たな息吹を与える方法をクリエイトするものなんです。」


今後の課題
 「これまでは接着材ひとつにしろ、修復するための材料は日本から調達していました。でも将来的にカンボジア人が自立して事業を進めていくことを考えると,材料もできるだけカンボジアで用意して,人も含めて全てをこの国でできる方法を考えていかなければならない。見方によってはカンボジア独自の大きな潜在性のある産業です。あとはいろんな修復方法がある中でどの方法が良いのか悩んで決めるという「考える」過程をこのフェーズではカンボジア人により一層体験してもらいたいですね。答えがない中で答えを探すという大変な作業ですが。」

● JASA
(日本国政府アンコール遺跡救済チーム)
1994年ユネスコ文化遺産保存日本信託基金によるプロジェクトとしてJSAを結成。2006年よりカンボジア政府機関アプサラ機構も加わりJASAと改名。
団長:中川武(早稲田大学教授)。    http://www.angkor-jsa.org/

JASAに保管されている数々の出土品