
「カンボジア クロマートラベルガイドブック」
Vol.9 Oct - Dec 2008
特集3 西プラサットトップ
奈良文化財研究所 石村智
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西プラサット・トップ
―アンコール興亡を見つめてきた小寺院―
奈良文化財研究所 石村 智
アンコールの遺跡を巡っていると、あちこちでクレーンが置いてあったり、作業用の足場が組まれていたりするのを目にすることでしょう。場合によっては立ち入り禁止になっており不便を感じられた方もいるかもしれません。そうした方にはまずお詫び申し上げるとともに、そこでおこなわれている調査・修復作業が、遺跡を守っていく上で大変重要なことであることを理解していただければ幸いです。
ご存知のとおり、カンボジアでは内戦が長年にわたって続き、その過程でアンコールをはじめとする様々な遺跡の破壊や劣化が進んでしまいました。カンボジア和平成立後の1992年にアンコール遺跡群はユネスコの世界遺産(危機遺産)に登録され、各国による遺跡の保存修復活動が開始されました。日本も当初から重要な役割を果たし、日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)、上智大学アンコール遺跡国際調査団、そして文化庁伝統文化課・奈良国立文化財研究所(当時)といった組織がそれぞれ活動を開始しました。さらに、フランスをはじめドイツ、イタリア、スイス、アメリカ、中国、インドなど世界の十数ヶ国がそれぞれ活動にあたり、さながら「修復オリンピック」の観を呈するまでになりました。その甲斐あって、2004年には「危機遺産」の指定を解除されることになりました。しかしとりあえずの危機は脱したものの、遺跡の保存が満足のいく状態になったかといえば、まだまだ不十分であるといわざるを得ません。特に、内戦以前に遺跡の保護に携わってきたカンボジア人専門家の多くがポルポト政権の下で虐殺されたため、カンボジア人の人材が不足しており、若い人材の育成には中・長期的な援助が必要です。
西トップ寺院の昔と今
私たち奈良文化財研究所は、2002年より現地機関のAPSARA(アンコール・シェムリアップ地域文化財保護管理機構)と共同で、西トップ寺院(西プラサット・トップ)の調査研究をおこなってきました。西トップ寺院はアンコール・トム内にある小寺院で、高さ8mほどの平面十字形の中央祠堂を中心に、その南北の両脇に小塔を配し、東側に低い基壇(仏教テラス)が伸びているといった構造です。寺院の創建は9〜10世紀頃と考えられています。かつて北の小塔から碑文が見つかっており、そこにはヤショヴァルマン1世(在位889-910年頃)の母方のおじ、サマッラヴィクラマが建物を建ててヴィシュヌ像を捧げたことが記されています。また中央祠堂のリンテル(入口の上に水平に渡した石)にはバンテアイ・スレイ様式(10世紀)の紅色砂岩が用いられています。しかし現在見る建築の様式はポスト・バイヨン期(13世紀)であり、このころに大規模な増改築がなされたとみられます。
私たちはこれまで建物の周囲の発掘調査を進めてきました。その結果、現在の建物の基礎をなす地層から主に13〜14世紀頃の中国製の陶磁器が出土し、この時期に建物の増改築がおこなわれた可能性が高いことが裏付けられました。また同時に進めている建築学的な調査からも、複数回にわたって建物が増改築されていることが確認されました。これまでの調査成果を総合すると、西トップ寺院の初期段階(9〜10世紀)は、ラテライトと紅色砂岩を用いた小規模な祠堂のみが単立していたのが、その後(13世紀以降)、砂岩を用いて一回り大きな平面十字形の祠堂(中央祠堂)に改築され、さらに南北の小塔が増築され、最後に仏教テラスが増築されたと考えられます。つまり、現在の建物の内部に、一回り小さな前身建物が埋め込まれている可能性が予想されます。寺院の役割も、当初はヒンドゥー教のものが最終的には上座部仏教のものに変えられており、これはアンコール衰退後に浸透してきた隣国タイの影響と考えられます。西トップ寺院はまさに、アンコール最盛期(12世紀頃)の前後にわたって長期間存続した数少ない寺院であり、まさにアンコール興亡を見つめてきた証人といえるでしょう。
西トップ寺院の観光のポイントとして、まず中央祠堂南側に残るリンテルに注目ください。このリンテルは、おそらくは前身建物に使用された石材を転用したものと考えられます。さらに、中央祠堂の四方に取り付く階段にも注目してください。南北の階段の前にはそれぞれ南北の小塔が建てられ、また正面東側階段の前のテラス上にも仏座が置かれており、いずれも登り口をふさぐ格好となっています。これは増築により当初のプランが変更されたことの証拠であり、実際に登るための階段の機能は放棄されています。
なお西トップ寺院の建物は現在大変不安定な状態にあり、部分的に崩壊が始まっていますので、くれぐれも登ったりせず、下から眺めて楽しんでいただければと思います。
西トップ寺院はいまでも地元の人たちの信仰の場としても機能しています。私たちが調査をしている間も、ときどきお参りに来る人たちがいたり、お昼には近くの寺院の若い僧侶たちがハンモックでお昼寝をしたりする様子を見ることがあります。カンボジア人にとって、遺跡は単に過去の残滓ではなく、今も生活と結びついた「生きた」存在なのだと感じました。
西トップ寺院の修復
西トップ寺院は今なお密林の中に位置しており、かつては中央祠堂の屋根の上にまで樹木が侵食していました。南北の小塔は外側に大きく傾き、今にも崩れそうです。これらの建物はほぼ手付かずの状態で残っていますが、自然崩壊のプロセスは今なお進行しており、今年5月には中央祠堂の屋根の破風の一部が崩落しました。私たちもかねてより修復が必要だと考えていましたが、修復作業にはより大規模な体制・予算・装備が必要となります。
幸いなことに、四国の高松市に本社を置くクレーンメーカー「タダノ」が、修復作業に使うクレーン車や高所作業車など3台の機材を無償で提供してくださることとなりました。同社は、私たち奈良文化財研究所が携わった奈良・高松塚古墳の石室解体において石材を吊り上げるための特殊機器を開発しました。同社は現地にスタッフも派遣し、カンボジア人操縦士も養成する予定です。さらに石室解体を現場指揮した石工、左野勝司氏(飛鳥建設)も事業に参加してくださることとなりました。国宝の壁画を守るため石室解体を成功させた「チーム高松塚」が、ふたたびスクラムを組むこととなったのです。このチームは高松塚以前にも、チリ・イースター島にて倒れたモアイ像を修復する事業に携わっており、国際的にも高い評価を受けています。
修復となると、現在の建物を一旦、ばらばらに解体し、ふたたび組み上げることとなります。既に転落・破損して失われた石材を補うことも必要ですし、場合によっては基礎の地盤改良からやり直さなければならないかもしれません。現在の建物が崩れそうになっている原因は、ただ経年変化による劣化のみならず、もともとの基礎が脆弱であったり、石の組み方に問題があったりした可能性があり、単に元通りに組み上げてもやがては元の木阿弥になってしまうかもしれません。建物に耐久性と安全性を持たせるため、場合によってはオリジナルにない工法や材質を用いた補修をおこなうことになるかもしれませんが、このあたりは議論の分かれるところです。あくまでオリジナルの技術・技法を踏襲すべきだという見解も一方ではあるのです。本格的な修復活動は2011年から始まる予定ですが、それまでに現在の建物の状態を徹底的に調査し記録することとなります。
遺跡の修復はこれまでも各国によっておこなわれており、その方針や理念はさまざまですが、私たちのチームは単に遺跡を修復するだけでなく、そのノウハウを現地のカンボジア人に伝え、ゆくゆくはカンボジア人自身の手により遺跡を守っていけるようにすることを目指しています。これまで奈良文化財研究所は、APSARAを通じて現地および日本で多くのカンボジア人専門家の研修をおこなってきました。また現地事務所にはカンボジア人スタッフが常駐し、遺跡の調査や遺物の整理に携わっています。今後の修復作業ではカンボジア人石工も養成される予定です。
アンコール遺跡はカンボジア人の誇りでもある文化遺産ですが、実際の調査・修復は外国人(私たちを含む)の手によっておこなわれています。これは本来不自然なことで、例えば日本の法隆寺が外国の調査団によって調査・修復されているという姿を想像すれば、みなさんも違和感を覚えることでしょう。確かに私たち研究者にとってアンコール遺跡はとても興味引かれる対象です。しかしそれが単に私たちの研究的野心を満たすだけで終わってしまってはいけないと思います。カンボジア人の貴重な文化遺産を調査させていただいているという謙虚な気持ちを懐きつつ、将来的にカンボジア人自身の手で遺跡を守っていけるようになるためのお手伝いをさせていただければと願っています。
●西トップ寺院への行き方
バイヨンから西にのびる道を250mほど行くと、車両通行止めの看板があり、その左に南に行く小道があります。そこを100mほど行くと右側に寺院が開けています。小道の入り口には車止めがあり、途中の道もぬかるんでいることが多いので、車を止め、徒歩で行かれたほうがいいかもしれません。

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