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「カンボジア クロマートラベルガイドブック」
Vol.7 Apr - Jun 2008

 特集1 いつか見た映画のような旅
      〜聖なる山々、洞窟、そして内戦後の安穏を訪れる〜

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いつか見た映画のような旅
聖なる山々、洞窟、そして内戦後の安穏を訪れる
プノンペン、シェムリアップに続く第3の都市バッタンバン。
小さな遺跡に囲まれたこぢんまりした町でありながら、知られざる魅力も多い。
今回はバッタンバンと宝石の町として名高いパイリンを訪ねてみた。

雨過天晴(うか・てんせい/うっとうしい雨が止んで青空が広がる。悪い状況が好転するたとえ)。長い間、この王国全土に深い傷跡を残し、悲しみを与えた内戦が終結しまだ20年程しか経過していない。少しずつ落ち着きを取り戻し始めた人々の生活と大地。それらを見て、聞いて、感じる旅。ある時はタイ、ある時はフランス、またある時はポルポトにと、幾度もの領主交代を余儀なくされ、時代に翻弄されていった町バッタンバン。その大地と人々に出会う。

-1日目 午前 シェムリアップ〜バッタンバン
 スコールのような最後の雨が降ってから、すでに三ヶ月経過しようとしている。雨季で凸凹になった赤い道路も、この時期になると少しだけ起伏が少なくなる。旅する者には適した“旅頃”なのだが、雨が降らない為、風で舞い上がった土埃がカンボジアの空の青さをぼやかしている。
 シェムリアップからシソポンを経由し、バッタンバンの街まで約5時間、さほど目立った見所はない退屈な旅だ。猛烈なスピードで後ろから追い越し、砂埃で数メートル先の視界を遮るピックアップトラック。舞い上がった砂埃は体全体にまとわり付き、服は大地色に染まっていく。
 古代インド神話“ラーマヤナ”、猿将軍ハヌマンの像がシソポンの町への入り口だ。ここからバッタンバンまでは、舗装された道路である。古ぼけた屋台で冷たい飲み物を注文し、げんなり気味の気分を入れかえる。服を叩くと、砂埃が舞い広がった。
 少し走ると、大きな仏像が小さな丘に座していた。階段を登り仏像を拝むと、像後部から読経が流れてくる。見ると老僧をとり囲むように小坊主達が座っている。立ち去ろうとした瞬間、目が合った小坊主は老僧に何かを告げ、こちらへと駈け寄ってきた。「プノンバンテアイニアン(娘達の要塞の意)」。名前の通り娘達が戦闘に関係していたのかは不明だが、1940年代にこの丘をめぐって争いがおこっていたという。小坊主に狭い敷地を案内してもらうと、小さな洞穴があり、内部には小さな仏像が大事そうに祀られていた。
 小坊主に別れを告げ先へと進むと、道路両脇には屋台が立ち並んでいる。アートのように吊り下げられた採れたてフルーツの屋台。地元の人々が青々しい果実を手に取り、真剣な眼差しでじっくりと選んで交渉している。その先には、細長い竹筒に入ったいくつものクロラン(カンボジア風お赤飯/ココナッツともち米と豆を一緒に竹に包み燃やしたもの)が、小さな籠に入って人々の目を楽しませている。一本1000リエル(約30円)。味は日本の赤飯と似たものだが、少し粘度が高く、水と一緒に腹へと流し込んだ。
 そろそろバッタンバンに入っただろうか。道路沿いには大きなトタン屋根の建物が並び、その前には米袋が山積みとなっている。そう、バッタンバンはカンボジアでも有数の「米の町」であったことを思い出した。

-1日目 午後 バッタンバン近郊
 八本の手を持った大きなヴィシュヌ神が、バッタンバンへ訪れる者を歓迎する。黄色い菱餅のような市場を横目に、交通量の多い道路をすり抜け街の中心地へと向かう。町を二分するように北から南へと流れるサンカー川。その土手にはフランス植民地時代の建物が数多く建ち並び、近くに停めてあるしじみ貝の手押し屋台には女子学生達が群がっていた。
 大きな川の脇を抜けるように、北へ、北へと走っていくとアンコール時代の遺跡であるエクプノン寺院へと辿り着いた。閑散とした寺院だ。木に吊り下げられたハンモックでは警官がいびきをかきながら眠っている。崩壊が進んでいるその寺院を探索し終わり、出発しようとすると寝起き顔の警官が見学料を徴収した。
 南東にあるという次の遺跡バサットへと向かう。途中、何とも言えない強烈なにおいが漂ってきたのでバイクを停めた。活気のある木造長屋を覗き込むと、数多くの女性と子供達が大量の小魚を目の前に、分業で調理をしている。カンボジア伝統調味料であるプラホック(小魚を塩漬けにして醗酵させた物)の製造所だ。椰子の木に囲まれた田舎道をしばらく走ると、到着した寺院には近所の農家が積み上げた藁と枯れ草があり、放牧された牛達が群がっていた。
 空がオレンジからブルーに変化した頃、バッタンバン駅へ到着した。週に一度しか走らない鉄道。閑散とした駅構内では、線路に転がっていた白いゴミ袋が風に吹かれて舞い上がった。

-2日目 午前 バッタンバン〜パイリン
 窓の外がまだ薄暗い頃、近くの寺院から大音量の音楽が流れだした。ぼーっとした頭を奮い起こそうと、冷蔵庫から取り出した冷たい水を一息で飲み干し、早朝散策へ出発する。近くにはこの地の守り神である巨大石像がある。大きな棍棒を王から授受しているように座するタ・ダンボン。その像をとり囲むように大勢の人々が、蓮の花や線香を供えている。
 サンカー川に架かる橋を渡ると、新しく完成したばかりの大きなナーガ(蛇神)のモニュメントがある。遠くから見ると唯の像だが、近くで見ると大量の銃器から出来上がっていることが分かる。“武器と暴力の無い平和な社会造り”。内戦後に少しずつ回収された物だろうか、少しだけ赤茶色に錆びた像の正面には日本語を含む三ヶ国語でそう記されていた。
 パイリンへと出発だ。雨季には深い泥道に変貌するこの道も、この時期だとさほど問題はない。町から一歩郊外へ出ると、すでに砂埃が舞う空間だ。この辺りには井戸も少ないようで、立ち並ぶ木造民家の前には大きな瓶がいくつも置いてある。少し走ると、赤とオレンジに輝く現代寺院があり、小高い山の山頂には巨大なストゥーパが聳え立っている。プノンサンポー寺院(船の山の意)、その名から、ノアの箱舟を連想させ、山の上に建つ二つ塔が風を受けるセイルの様に感じられる。
 長い、長い階段だ。息を切らせながら登っていく。途中には、幾つもの寺院、彫像などが点在している。内戦時代の名残りなのだろう、目立たないようにペイントされた迫撃砲が佇んでいる。山頂へと吹き上げる風が気持ち良い。見渡せる限りの大地は起伏が乏しく、この国がいかにのっぺりしているかということを改めて実感させられる。岩肌の見える小道を降ると幾つもの洞窟があり、それぞれに涅槃像や、座仏像が祀られている。ポルポト時代にキリングフィールドとして利用されたこの地では、洞窟に多くの亡骸が投げ込まれたという。いくぶんかでも彼らの霊の慰めてとなればいいのだが。
 長い階段を降り、先へ進むと、ポルポト時代に造られた巨大貯水池“コンピンプイ”へと辿り着いた。数万人にも及ぶ“使い捨て”労働者達により、人力で掘り広げられたという灌漑用水用貯水池である。ポルポトが残した多くの負の遺産の中、今でも人々に喜ばれ、利用されている数少ないものの一つである。広大な池では蓮の花の栽培が行われ、多くの魚が捕れ、流れ出る水は田畑を潤し、人々の生活を豊かにしている。

-2日目 午後 パイリン・タイ国境部
 太陽がちょうど真上に来た頃、宝石の町パイリンへと差しかかった。道路脇には地雷の看板が多く掲げられ、文字が読めない人々の為に地雷の恐怖が描写されている。大量に埋められた地雷撤去の為、行く先々の大地では、緑が燃やされ、土は掘り返され、赤茶色の大地がむき出しになっている。
 町の入り口には小さな山がポツリとあり、その山頂と麓には、他の地域では見たことがないスタイルの寺院が建っている。学校帰りの学生達のたまり場になっているのか、白と青の制服姿が寺院内に溢れている。周辺には中国風の墓が数多く祀られている。
 平和が訪れた証だろう、到着した国境はどこかのどかな雰囲気を漂っている。同じインターナショナルボーダーであるポイペトと較べると人々の往来もまるで少ない。欠伸を噛み殺すように座っている管理官に尋ねると、ここを抜ける外国人は年間通しても三桁に及ぶかどうかだそうだ。周辺の地図を広げると、時間を持て余した管理官が集まってきた。初めてこの地域の地図を見たのか、あそこはこうか、ここはどこだと真剣な眼差しで互いにやり取りしている。その脇をすり抜けるように、タイの小金持ちがチップを渡し、パスポートを見せたかと思うと、近くのカジノに消えていった。
 パイリン郊外の川では、美しい輝きを放つ紅いルビーが掘り出されていたという。バイク一台がやっと通れるほど狭く、低い釣り橋の下には浅い川が流れている。川の上流に目をやると、転がっている大きな石を数名の男女が一生懸命ひっくり返している。現在はほとんど見つけられる事はない為、週末の潮干狩りのように、家族で水浴びを楽しみながら宝石を探すのだそうだ。
太陽が落ち始めた頃、近くにある滝を訪れると、夕涼みに来た人々が、水際で遊んでいた。そして、カジノで遊ぶ以外、何の楽しみも無いパイリンの早い夜を過ごした。

-3日目 午前 パイリン〜バッタンバン
 砂埃の舞う道を再びバッタンバンへと駆け戻り、ワットバナン寺院へと辿り着いた。麓で入場料を支払っていると、集まってきた子供達が案内してくれるという。子供達を先頭に、寺院のある山頂へと続く長い階段を登りきると五つの祠堂がきれいに残っていた。この周辺で一番大きなアンコール遺跡でありミニアンコールワットと呼ばれているそうだ。子供達の手招きの下、寺院裏から麓へと続く細道を降っていく。誘われるがまま進むと、懐中電灯を頭につけた老人が座っている。すぐ後ろには人一人がやっと入れるような岩の裂け目があるのだが、外から見る限り中は真っ暗である。老人から手渡されたライトを灯し、後をついて行く。内部には全く光が入ってきていない。真の暗闇では、いくら目が慣れようとも本当に何も見えなく、ライトの光のみを頼りに進む。キッキッという蝙蝠の鳴き声が聞こえている洞窟は思ったより広く、内部にはポツリとリンガ台が残されていた。「この洞窟を先へと進むとタイへ到着する。今まで何人もここからタイへ出ていったんだ」。ここからタイまで数十キロはあり、にわかには信じられない話だ。ポルポト時代にこの国から逃げだそうと、この洞窟へ入った者で、戻ってきた者はいないと言う。きちんとタイへたどり着けたのだろうか、それともどこか他へと消えていったのだろうか。
 
-3日目 午後 バッタンバン
 近くから手作り電車が出ているという。案内された駅は、決して駅とは言えない土手であり、電車を待つ人々は自分達が持ってきた荷物の上に座って煙草をふかしている。線路から続く先へと目を凝らすと、蜃気楼が漂う中、背の低い乗り物が近づいてきている。ガタッガタッとリズムを刻んだ心地よい軽音、乗っているのはざっくりと頭からクロマーを巻きつけた老婆、鶏を抱えた男達と、バイク2台だ。彼らと入れ違いに竹製のそれに乗り込む。地元民はノーリー、外国人はバンブートレインと呼んでいるそうだ。乗ってみると思った以上に線路が近く、進み始めたノーリーからは、継ぎ目の振動がダイレクトに体に伝わってくる。しばらく走っていると正面から別のノーリーが近づいてきた。互いに速度を落とし、運転手同士が声を掛け合う。先方は人間が10人近く、こちらはバイク3台と人間6人が乗っている。荷物の載せ降ろしが楽なほうが道を譲る事が、一本しかないこの路線での暗黙の了解となっており、目の前のノーリーから皆降りていく。全ての乗客が降りると、どっこいせと竹製乗り板、車輪とを順に線路から取り外し、こちらが行き過ぎると再び組み立てていく。同様のやり取りを2回ほど繰り返し、本当の駅より少し手前にある終点へとたどり着いた。
 「この町にはサーカスがあるんだ」。ノーリーで聞いたばかりの情報を頼りにその場所を探す。見つけ出したサーカスはフランス人が運営しているアートスクールの中にあった。絵画や楽器教育の他、アートパフォーマンスとしてサーカスを教えているのだ。少し小さい体育館を覗くと子供達が一生懸命トレーニングに励んでいる。ゴムバネを使ったハイジャンプ、小さい板の上での片足で立ちなど思った以上にハードな練習である。その脇ではまだ幼い子供達が柔軟体操を行っている。お披露目の舞台は月に4回の地元公演だけでなく、プノンペンやシェムリアップでのイベント公演もあり、以前日本での海外公演を行ったこともあるそうだ。
 たった百年の間に幾度も支配者が変わり、その都度悲しみと喜び、そして痛みを受け、時代に共に翻弄された町バッタンバン。やっと新しい芽が伸び始め、以前よりも明るい時代を迎えようとしている。

こちらの旅行に関するツアーはこちら ・・・  バッタンバンのアンコール遺跡とポルポトダム見学

こちらの旅行に関するツアーはこちら ・・・  バッタンバン・パイリンを訪れる